2013/12/29

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就職活動とは、「自分」という商品を企業に売り込む営業活動に他ならない。

そして、どのような商品が”強い商品”であるか――言い換えれば、競争力があり高く”売り込める”商品であるかを決定するのは、2つの要素しかない。

重要性と稀少性の2つである。

この「重要性と稀少性」という原則は、歴史上、時代や場所を問わず機能してきた。どんな社会であれ、「重要でありかつ稀少である」ものを握った者が優位に立ってきたのである。たとえば良く知られているように、中世ヨーロッパではコショウは「重要であり稀少な」商品であった。冷蔵の技術が乏しいこの時代、コショウは食品の保存になくてはならないものであり、かつ供給が少なかったからだ。だから、コショウは商品力が高かったし、商人は高い価格で売ることができた。今はそうではない。なぜならば、食品保存のためにコショウを使う必要はないし、供給も豊富にあるからだ。こうしてある商品の「重要性と稀少性」は、外部の技術や社会の変化によって変わっていく。しかし、その時その場所で「重要性と稀少性」がある物を握っている者が勝つという原則は、まったく変わらない。

冒頭で、私は就職活動とは「自分」という商品を企業に売り込む営業活動であると言った。別の言い方をすると、これは就活生からの自分の「労働力」という商品の提案である。自分の「労働力」という商品を、月いくらいくらのサラリーで買いませんか? という提案なのである。「あなた株式会社」から、就活先企業への提案なのである。

「働く」ということは自らの「労働力」という商品を売ることである、と定式化することは、あまりされてこなかったように思われる。少なくとも、私が就活生の頃に読んだ本にそのようなことを書いてあるものはなかった。もちろん、これはこうして書いてしまうと当たり前のことのように思われる。しかしながら、「働く」という事を考えるときに、これがもっと何か「崇高な(?)」ものに見られていて、「商品」として取引するようなものではない、あるいはそんなことは語るべきではない、という風潮があることには着目してもよいであろう、と思う。巷にあふれるキャリア論で、労働力の商品としての側面に触れたものは、私はほとんど見たことがない。

実は、「働く」という行為は取引する商品のような軽々しいものではなく、崇高なものであり尊ぶべきものである、とする思想の歴史は古い。本題ではないので本格的に論じることはここではしないが、日本の労働文化の中では、働くことの目的意識や使命感をとても大事にする節があるし、いわゆる就活本にもこういうことを強調したものは結構多い。キリスト教文化の中ではプロテスタントの職業召命説にその源泉を求めることもできよう。

我々の「労働力」は、労働者が企業に提供する「商品」である、という考え方は古典的にはマルクスからあった。しかしながらマルクスにおいては、「働く」ということを「あなた株式会社」と何某株式会社との対等な契約であるとする捉え方はなかった。マルクスにおいては、「労働者」はあくまで資本家に労働力を買い叩かれる立場である。「商品」としての労働力は、「労働」のあり方としてネガティブに捉えられていたのである。

「商品」としての労働力を、ポジティブとは言わないまでも少なくとも中立的に定式化していったのはゲーリー・ベッカーである。ベッカーは、人的資本(Human Capital)の概念を定着させた。この中では、「人」は、その他の金融資本や物的資本と並んで「人的資本」として捉えられており、金融資本や物的資本と同じように生産をする。そして、人的資本は、教育・訓練によって磨きを掛けることができ、生産能力が高められる資本なのだ。「資本家」の側から見たときにはこういう言い方になるが、「労働者」の側から同じものを見たらどうなるか。これは、労働者は自分の人的資本を高めることで自分を高く売ることができるようになる――自分とはそういう「人的資本」なのだ、ということだ。

時代の流れもあって、最近になってこういう考え方はやっと広く受け入れられるような土壌ができてきたのではないだろうか。即ち、労働者とは一人ひとりが人的資本を持った「あなた株式会社」であり、人的資本の提供先と対等に契約する主体性を持った存在である、ということだ。

それならばそれで、その人的資本と言うあなたの商品は、高く売ることを考えないといけない。労働力の提供先と対等に契約する主体であるということは、同時に他の「あなた株式会社」との競争に曝されているのだ、ということも意味する。

「働く」ということの価値観や捉え方が、大きなうねりを見せて転換していく21世紀の序盤のただ中、就活生が自らのキャリアを考えるときに念頭に置くべきものは何だろうか。もちろん、こんな時だからこそ使命感や目的意識を大切にするのも良かろう。だが、私はあえてここでもっとドライな視座を提案したい。それが、「重要性と稀少性」である。なぜなら、労働力も一つの商品に他ならないのだから、その他の商品と同じように考えなければならないからだ。

次回は、具体的にこの「重要性と稀少性」という原則が、キャリアを考える際にどのように使いうるのかを考察していきたい。

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