2013/04/30

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本日の日経の記事から。
企業が若者の働く力を育ててきた日本では、新卒時に正社員になれないとスキルが身につかず、次の職場がなかなか見つけられない。現状をどう打破すべきか。国際的な視点から人材のキャリア開発に詳しい慶応大学の石倉洋子教授に聞いた。
 ――非正規社員の増加など若者がスキルを磨く場が狭まっています。
 「非常に危惧している。現状を放置すれば、近い将来、スキルがない人が社会にあふれ、労働市場の需給が改善しても働けない若者が生まれる恐れがある。職業人としてのスキルはやはり仕事から学ぶ面が多く、企業の役割は大きい。だが厳しい国際競争で余裕がない企業は即戦力を重視する傾向が強い。これは日本のような先進国だけでなく、新興国でも同時進行で大きな課題となっている」

http://www.nikkei.com/article/DGXNASM327008_Z20C13A4000000/
企業内人材育成に関わっている者として、この点は私もすごく問題意識を持っている。

そもそも、非正規雇用の社員が増えたことは、ある意味90年代後半から2000年代前半にかけて、財界・コンサル・メディア、それぞれがそれぞれの立場から事を推進した必然であった。経団連はこれを雇用の流動化と経営の効率化と呼び(※1)、マーサーはHuman Resource Management(HRM)と呼び、リクルートはライフスタイルの多様化と呼んだ。非正規雇用社員の増加は、様々な関係者の同床異夢ならぬ「異床同夢」の結果だったのだ。

巷ではユニクロの柳井さんの発言から始まった”年収100万円時代”論が、なんだかもはやひとり歩きしている体をなしている。柳井さんの真意は知らねど、これだけ話題になるというのは、露骨なメリトクラシー(※2)が歩み寄る足音に、多くの人が敏感になっているからなのだろう。

グローバル単位のメリトクラシーは、柳井さんの言うように一般論としては、本当にこれまでとは別次元での賃金の下落と、雇用の不安定性の可能性をうむかもしれない。その恐れに、多くの人がうすうす感づいているはずなのだ。

私の携わる人材育成という仕事は、個人のスキルを向上させるものだ。もっと言ってしまうと、企業に雇用されている個人のエンプロイアビリティ(※3)を、さらに増すものだと言ってしまってもいいと思う。この仕事に携わっていると、企業の中にいて能力開発や成長の機会を積極的に与えらえるか与えられないかというのは、やっぱり企業によってかなり差があるし、当然のことながら正規社員と非正規社員の間にはこの機会の差はものすごい大きいということが分かる。

企業は、基本的に非正規社員のためには能力開発のための予算をそんなに大きくは割かない。なぜなら、非正規社員にはコモディティとしての労働しか期待していないからだ。こうして、非正規社員にはあまり成長機会のない仕事ばかりだから、スキルが伸びていかず、冒頭引用した石倉先生がおっしゃっているような危惧につながっていくのだ。

私の問題意識はここにある。

人はそんなに強いものではない。仕事というのは、大いに人の自尊心に関する事柄だ。会社から期待されていない・単調な仕事しか期待されていない」とか、「賃金による報酬が少ない」ということを、自分の人間としての価値に置き換えてしまいがちだ(良く考えればそんなはずはないのに)。仕事で評価されていないと思うこと、仕事で孤立感を持っていることは、大いに自分のプライドを傷つける。

しかも低賃金であればこそ、自分の家庭を持つという機会からはますます遠のく。年収と既婚率の関係性はいろいろなところで示唆されている。結婚して守るべき人もいない、いるのは自尊心を失った自分だけ、という事になればタガとなるものがない。

私にはずっと自分の問題意識から、忘れられない事件がある。それは秋葉原の加藤の事件だ。加藤は、何であの無差別殺傷事件を起こしたのか? 

人が足りないから来いと電話がくる。俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから。誰が行くかよ。
とは、加藤の言葉だという。加藤の言葉に、人としての弱さを見つけるのは容易いことだ。僕は、ここにはあえて、彼にとって仕事での成長の実感があったか、職場での充実感があったのか、という疑問をさしはさみたいのだ。


いろいろ不満があったとしても、彼にもしそれを抑止するタガがあったなら、彼は自暴自棄の犯罪行為に走ることはなかったかもしれない。彼に大切な人がいたなら、それがタガになったかもしれない。彼にもっと収入があったなら、それがタガになったかもしれない。彼に仕事から得られる自尊心があったら、それがタガになったかもしれない。問題なのは、おそらくそのタガが彼には無かったことだ。

そして、来るメリトクラシーの社会では、そのタガが社会の「下層」の人にはますます用意されない社会になるだろう。

友人や恋人や(将来の)家族。金銭。仕事から得られる自尊心と成長の実感。

それらが得られる機会の格差が、多分大きく広がっていくだろうと私は予測する。私が危惧しているのは、このことだ。そして、この危惧は、おそらくメリトクラシーの社会の「上層」の人にとっても関係することだと、私は主張したい。

貧困や格差は、犯罪の発生に影響を与えることが示唆されている(※4)。

具体的な個人への恨みなら、その人に復讐すれば良い。しかし、ぼんやりと、「社会」というものに対して抱いた恨みはどこに晴らせばいいのか? その回答としての「無差別テロ」が、日本でも、ついこのあいだの米国でも、いな世界中のどんなところでも頻発している。

私の仕事は、メリトクラシーの社会を構築するのに寄与するほうの仕事だ。だからこそ、こういう問題意識を、私は持ち続けていきたい。

※1 1995年に日経連(現・日本経団連)が「新時代の『日本的経営』」という報告書を出している。大要は下記リンクを参照。http://okinawakenroren.org/kanrinin-blog/images/1995shinjidai.pdf
※2 メリトクラシー:個人の持っている能力によって地位が決まり、能力の高い者が統治する社会のこと。対比的な用語としては「アリストクラシー(貴族制)」、つまり生まれによって地位が決まり、身分の高い者が統治する社会。
※3 エンプロイアビリティ:「雇用され得る能力」。もっと平たく言うと、ビジネスパーソンとしての能力・価値。
※4 未熟練労働者の就業と失業、貧困、格差と犯罪の発生率などの連関については、下記の文が論じている。三好 向洋「シリーズ 日本経済を考える⑱ 犯罪と労働市場http://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f01_2012_01.pdf


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