2012/10/29


キッザニアと似たテーマパークが千葉の海浜幕張にできるらしい。

日本初!職業体験ができる親子カフェパーク 「Kandu(R) Kafe(カンドゥーカフェ)」が日本に上陸 ~2013年下期、千葉市幕張に第1号店をオープン~
http://www.dreamnews.jp/press/0000061972/
“親子で学べるロールプレイ・テーマパーク”「Kandu(R) Kafe (カンドゥーカフェ)」の開発と運営等を手がける株式会社カンドゥージャパンは、その株主である株式会社文化放送、株式会社コビーアンドアソシエイツと共同で、日本初の親子で職業体験ができるテーマパーク「Kandu(R) Kafe」の第1号店を、2013年下期に千葉県千葉市の「イオンモール幕張新都心」内にオープンすることを決定しました。
キッザニアが成功しているので、誰かが二匹目のどじょうをすくいにいったのかと思ったら、手がけているのはキッザニアを開発した人と同一人物であるとのことである。

実は以前にもこのブログで同じようなことを書いているのだが、私はかねてからキッザニアを批判している。同じようなことを書くことになるだろうが、改めて批判をまとめておきたい。

私が何を批判しているかというと、キッザニアがこれを「エデュテインメント(教育+エンタテインメント)だ」、と主張していることである。「楽しみながら学ぶ」という理念自体は、まことに結構なものだ。だが、私はキッザニアが自らのエンタエインメント性を認めながらも、「学びの場だ」と主張することに、どうにも胡散臭さを感じるのだ。

キッザニアは「学び」の場である以前に企業広告の場である、ということを見破らなければいけない。しかも、キッザニアは企業広告の効果を、「学び」の力を使って強化するという、とても巧い仕掛けがそろえている。これはなかなかタフな仕掛けだ。

テレビを観ていてCMになったらチャンネルを変えてしまう人に対しては、どんなに企業の魅力やブランドを説いたところで、届かない。テレビは録画したうえで、後からCMは全部カットしてみる人、チラシやダイレクトメールの類は見ないで全部捨て、広告メールはフィルターでカットし、ブラウザーには広告カットのアドインがしっかり搭載済みな人。ここまで完璧な「広告嫌い」はそうそういるものではないとは思うが、基本的には人は自分の意に反してセールスされるのは嫌なものだ。「北風」式に押して押して押しまくっても、消費者はガードを堅くするばかり。企業のメッセージが消費者の心に届くのは、そう簡単なことではない。

でももし、その人が「企業について学びたい」という姿勢を持っているならば? 企業がその人のマインドの中に入り込むのはとてもたやすい。「学び」への意欲を使って、企業は人の中にしっかりと己の良いイメージを「ブランディング=焼き付け(※)」することができる。

※「ブランド」とは、もともと家畜に対する「焼き印」の意味である。


少々話は変わるが、企業の新卒採用広報は、単に「有能な人材を採用する」という意味を持つだけでなく、「企業のブランディング=将来の消費者をつくる」という意味も持っている。これはどういう事かというと、簡単に言うと以下のようなことである。


  1. 就活生は応募する企業について「学ぶ」意欲が高い(「御社について勉強していること」は、他の就活生との差別化要因になるからだ)。
  2. 有名な大企業で、就活人気も高い企業であればあるほど、競争率は高いので、就活生も競うようにしてその企業について「学ぶ」。
  3. 自分で企業研究をしたり、面接や訪問の過程で、就活生はその企業についての理解が深まり、愛着が湧く。
  4. 最終的な結果として、95%の応募者は落ちる。
  5. 落ちた応募者は他の企業に就職して、ちゃんとした収入を得る「消費者」に変わる。


企業側から見ると、落とした就活生は数ヵ月後~1年後くらいには有力な消費者候補になるわけだ。だから、このことを分かっている企業は、候補者に「いい印象」を残して、落とす。いい印象を残して落とせば、将来もその会社に愛着が残って、ロイヤリティのある消費者になる可能性があるからだ。変に圧迫面接などして、悪印象を残したりしない(※)。

以上のような戦略を、採用ブランディングという。採用活動をしっかり戦略的に捉えている、人事部がしっかりした企業であれば、このことはどの会社でもやっているし、特にBtoCの商品を発売している会社であればやっていない方がおかしい。

※ちなみに、私は就職活動で某有名個別指導塾を経営する会社Mを受験したときに、恐ろしい圧迫面接を受けたうえに、「教育に熱意を持っているって君、言うけどさあ、こっちはビジネスでやってんだよ、君、そういう経営的なことも勉強したうえで、この面接来てるわけ、あぁ?」みたいな説教をくだくだとされて、仰ることはよく分かったし、自分の不勉強も明らかになったのだが、自分に子どもができてもこの会社の塾には絶対に入れるもんか、と決意したのだった。

採用ブランディングは、就活生の「学びたい」という意欲をうまく使った企業広告である(※)。大学生くらいであれば、このことは見抜くことができるし、見抜いたうえで就職した後は自覚的な消費者になればよいと思う。

※ここでは、採用ブランディングをいいものだとか悪いものだとかは論じない。ただ、入るのなら採用ブランディングをしっかりやるくらいのインテリジェンスを持っている会社であるほうがいいように思う。いいか悪いかは別として。


だが、子どもとなると、「学び」と「企業広告」を峻別することなど、とてもできない。子どもに対してキッザニアのような場で、ファストフード店の企業イメージ広告とファストフード店の仕事体験を区別しろなどという要求するのは、とてもばかげた話に思われる。子どもは、それらすべてをいっしょくたにして「楽しい経験」として記憶する。

キッザニアのようなエデュテインメント施設では、実際の仕事にあるような不規則な課題やトラブルはあり得ない。ましてや、そういった体験から味わう不快な気分も味わうこともない。キッザニアではファストフードの店員の仕事でも、警察官の仕事でも、すべてのロール(役割)はお膳立てされており、参加すれば確実に「楽しい経験」と「仮想貨幣=報酬」が得られる。

この過程は「学び」であろうか。

「学び」ではない、とは言い切らない。当然、「有用な学び」もあろう。ただ、「学び」はとても個人的なもので、なかなか目に見えるものではないものだ。私には、この過程に仕掛けられている企業イメージの刷り込みの存在のほうが、大きく目立って見える。

ファストフード店の仕事体験。そこでは、「あのコスチュームに」自ら袖を通す。「同じコスチュームを着た」優しいお兄さん・お姉さんが親切に教えてくれ、最後には自分で作ったものを食べることもできる。おいしい。その空間は、「そのファストフード店」そのものである。

携帯電話ショップの仕事体験。そこでもコスチュームに自ら袖を通し、働くすぐそこには「あのロゴが」光っている。携帯をお客さんに紹介したり、自分で使ったりする。もちろん、ここは「あの携帯キャリア」のお店である。

私は特定の企業を批判しているわけではないが、こうしたすべてが計算された「楽しい経験」の中で、企業のブランドは肯定的なイメージで子どもの中に「ブランディング=焼き付け」されていく。

ミズーリ大学カンザスシティ校とカンザス大学のメディカルセンターの研究によると、企業のロゴによるイメージが子どもの脳に刷り込まれていることによって、子どもは”抑制プロセス”を経ることなく何を食べるか決定していることが疑われるのだという(※)。


※「ファストフードチェーンや食品ブランドのロゴは子供たちの頭に刷り込まれている」研究者が衝撃の研究内容を発表!
http://rocketnews24.com/2012/10/10/255786/


また、これは子どもの話ではないが、大学生を対象とした調査で、アップルのロゴを見せられただけで創造性が上昇する(!)という、なんだかにわかには信じがたい調査まであるそうだ(※)。

※「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇――デューク大学調査
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/20/news002.html

とにかく、企業のロゴとかブランドイメージというものは、有名な企業であればあるほど影響力も大きい。それによる宣伝効果も大きいものになる。大人を対象にしてもこうしたイメージ戦略がめぐりめぐらされている。多額の広告費を掛けてカッコイイCMをつくる。

子どもはどうか。そう、子どもはまだ頭が柔らかい。大人と違って、楽しければ疑いもしないで受け入れる。彼らが子どもの時に、いいイメージを植え付けることができれば…。

少し意地悪な見方でもってキッザニアのパビリオンを提供している企業の一覧を見てみれば、BtoC企業が多いこと、食に関係するパビリオンが多いこと、高校生くらいになったらアルバイトも募集している企業が多いことが読み取れるだろう。

彼らは、すぐにでも消費者になってくれるだろう。大人になっても消費者であり続けるだろう。もしかしたら労働力になってくれるかもしれない。「刈取り」の計画はしっかりなされているのだ。

こうして、子どもへの刷り込みマーケティングはある意味で最強のものになる。しかも、これは表向きはマーケティングではない。

「学び」なのだ。


教育とは何か、教育が目指すところは何なのか、という議論は、とても深淵だし、答えは幾通りでもあるはずだ。

私の暫定的な答えは、こうだ。

教育の目指すところとは、「自分で選べるようになること」である。

少なくとも教育が目指すのは、「選択を支配されること」ではないはずだ。

そう私は信じたい。

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