2012/03/11

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スーザン・ソンタグを引用します。私の駄文なんて後回しでいいから、この日に、このブログを訪れる人が以下の言葉の意味を、きちんと一つひとつ考えてくれますように。

若い読者へのアドバイス……
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

検閲を警戒すること。しかし忘れないこと——社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。

言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。

言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。

動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。

暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。

少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券をもたず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。

自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。

恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。

自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。

他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません——女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。

傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。


良心の領界を守ってください……。

二〇〇四年二月
スーザン・ソンタグ
「若い読者へのアドバイス」(『良心の領界』収載)

「リーダーシップ」という事を最近は考えています。仕事の意味でも、仕事に意味を縛られることなく、「生きていく」という大きな意味においても。僭越ながら、ソンタグのように、私も自分で言葉をつくりだして、それを自分に言い聞かせ続けています。たとえば、以下のようなことを。


人の時間を使うこと、人の仕事を増やすことに対して、謙虚であること。しかしそのことに対して決して恐れはしないこと。

人が何を求めているかに対して耳を澄ますこと。絶えず学び続けること。ただし、アイデアを叩かれ、貶され、そんなのは無理だと言われても、何も聞かなかったかのように動じないくらいの図太さを、兼ね備えていること。学ばないという技術を兼ね備えていること。

味方を作ること。しかし、味方がいなかろうが信じる行動をとること。

良心を貫くこと。迷った時は、良心だけを基準にすること。良心と戦術とを区別すること。良心とは情熱であり、情熱は行動を抑えられるものではない、と知ること。ただし、良心が止めろと言ったら、迷わずに止めること。

自分の利益は後回しであったとしても、短期的にはむしろ自分には損な役回りばかりがあたるとわかっていたとしても、最後に得られるものを信じられるほどに希望に満ちているか、あるいは、短期的な損に目をつぶっていられるくらいに鈍感であること。どちらにもなれない場合は、どちらの方になれるかを考え、それに近づく努力をすること。それもできないなら、実はその情熱は危ういものであると疑うこと。

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