2011/08/02

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「スゴイ」人でもなく、「デキる」人でもない、「まあまあ」な人とか、「ちょっとダメ」な人は、どうやって会社の中で生きていけばいいんだろう。

会社で話題になることが多いので、『ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則』の和訳で知られているJim CollinsのGood to Greatを途中まで読んだ。"Good is the enemy of the great."(良いということは、偉大であることの敵だ。)で始まるこの本は、大方の「良い」組織から飛び抜け、「偉大」へと進歩した組織について論じている。称賛する人が多い本だが、個人的にはどうにもこうにもむかむかとする。確かに刺激的な内容ではある。気分が悪いので読み進めがたいのだが、この本はHuman Resource Developmentの仕事に関わる人間としての「考え方」の試金石になるかなと思っている。

第2章の「Level 5 Leadership」では、Greatな会社に飛躍させるリーダーシップについて書かれている。Level 5 Leaderは、an individual who blends extreme personal humility with intense professional will(人としての深い謙虚さとプロフェッショナルとしての強靭な意志とを併せ持つ人(拙訳))と定義されている。だが、ここで書かれていることはHRDやOB(Organizational Behavior)の文脈で言われるBehavior(言動)ではなく、Traits(特性)に過ぎない。当然ながら、Level 5のリーダーシップは学習可能か、という問いに対しても、「種を持っている人と、そうでない人がいる」とか、「ポテンシャルとしてのLevel 5の人はいる」とか「Level 5の人間への内なる成長(the inner development of a person to Level 5)」とかいう言葉でお茶を濁している。TraitsよりもBehaviorを重要視するHRD会社の人間としては、Traitsの議論に終わっていて、Behaviorの議論に入っていないことに着目しなければいけない、と思う。

第3章の「First Who... Then What」では、そのキャッチーさで有名になったのではないかと思うフレーズが最初にある。

first got the right people on the bus (and the wrong people off the bus) and then figured out where to drive it.
最初に適した人をバスに乗せ(適さない人をバスから降ろし)、それからどこに向かって運転するかを描く。
(以下すべて拙訳)

その後もしきりにright peopleの重要さが強調される。

People are not your most important asset. The right people are.
人材は宝ではない。適切な人材こそが宝なのだ。
We hire five, work them like ten, and pay them like eight.
5雇って、10働いてもらって、8払う。
The only way to deliver to the people who are achieving is to not burden them with the people who are not achieving.
デキる人に資する唯一の方法は、デキない人を彼らの足手まといにしないことである。

right people(適切な人材)が大切なことは、よく分かる。あくまで基準はright(適切)かどうかであって、人としての価値を問うているわけじゃないですよ、というのはちゃんと人道的な逃げ道は残してあるけれども、特に上の3つ目の引用なんかは、本音のところなんだと思う。「デキない人は去れ!」と本当は言いたいけど言えない人には、読んでいて爽快な文なのだと思う。「適切な人をバスに乗せ、適切でない人をバスから降ろせ」は、僕には「良い人は良い。ダメな人はダメ。」というトートロジーを丁寧に言っているとしか思えなかった。

そして、またしても「BehaviorよりもTraits論」が展開される。

In determining "the right people", the good-to-great companies placed grater weight on character attributes than on specific educational background, practical skills, specialized knowledge, or work experience. Not that specific knowledge or skills are unimportant, but they viewed these traits as more teachable (or at least learnable), whereas they believed dimensions like character, work ethic, basic intelligence, dedication to fulfilling commitments, and values are more ingrained.
「適切な人材」を見極めるにあたって、偉大へと進歩した企業は人について特定の学歴や何を学んできたかや、スキル、専門知識、職歴・経験よりも、人格上の特性に重きを置く。専門知識やスキルが重要ではないというわけではない。だが、そういったことは教えることができるもの(少なくとも修得できるもの)であり、一方、人格や職業倫理観、地頭の良さ、やると決めたことに対して専念する姿勢、価値観というものはより生得的なもので教えられるものではないからである。

こうして、謙虚で私利私欲を考えない、プロ意識に優れたGreatなリーダーが、人格的に優れ、地頭のいいGreatな人材を少数雇って少なく払う。こうして、Greatな組織ができあがる。

これ、当たり前じゃないだろうか…?


この本で最初に言っている通り、Greatな人材なんてほとんどいない。ほとんどは、Goodな人たちだ。いや、この本では最初っから「敵」にされている"Good"は、むしろまだいい。この本では論外で登場すらしない、"Not bad"な人とか"So-so"な人、あるいは"Not enough"な人は、どうすればいいんだろう? 彼らは、座席から補助席へ、補助席からつり革へ、最終的には降ろされて、出発する楽しげなバスを見送るしかないんだろうか?

僕もいち会社員として働いているから、自分のこととしてよく分かるけど、自分の能力が大したことないことなんてよく分かっている。取り立てて良くもないし、すごく悪くもない。こういう、表舞台には上らない大多数の人、"まあまあな"人とか"ふつうの"人、あるいはたまに"ちょっとダメ"な人は、この恐ろしくビジネスの成果と「成長」とを急ぐ風潮のなかで、どこで息をつく暇を見つけたらいいんだろう。

人材育成という仕事を考えるうえで、僕がすごく問題意識を抱えているのがこの点であって、人の凡庸さとか、ダメさとか、そういうものをどうやって受け入れていったらいいんだろう、ということを考えている。なぜならば、みんな優秀な人や非凡な人は黙っていても注目するし、誰もがそういう目を引くものが好きであり――かつ嫉妬の対象にもなるからだ。だけれども、大多数の人は凡庸だし、むしろちょっとダメなところを抱えているものだ。そして、大多数の凡庸な<わたしたち>は<お互い>に目を向けあわない。

こうして、少数の優れた人ばかりにスポットライトが当たり、少数の優れた人同士ばかりが交流し、大多数の「ふつう」な人たちは、バスから降ろされるんじゃないかとひやひやしながら、隣の乗客より先に降ろされないために、互いに助け合わない。


まだ読み止しではあるのだけど、Good to Greatを読んで、端々から感じたのは強烈なエリート主義であって、結局のところすごい人がすごいことをやらなければいけないんだという、強迫観念みたいなものすら感じた。むしろ読んで、これは自分が人材育成の仕事をするうえで考え方を試す本になるなと考えたのは、ふと思いついた言葉がSo-so to Goodとか、Not enough to So-soとか、そういう発想だったからだ。

「偉大」になれない人が、「偉大」になることへの強迫観念を抱かず「偉大」でないままに、良い生活を送れることのほうが、僕は何十倍も、偉大なことなんだと思う。

「ちょっとダメからまあまあへ」。まあ、こんなタイトルの本書いたとしても、絶対に売れなさそうだけど。

Good to Great: Why Some Companies Make the Leap...And Others Don't
Good to Great: Why Some Companies Make the Leap...And Others Don'tJim Collins

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