2011/01/24

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薄々感じていたことではあったのだけど、いよいよグルーポン型広告ビジネスに興味が無くなってきた。「おせち事件」、およびそれに続くいささか煽られ過ぎた感じのする非難轟々の嵐の件もあるが、グルーポンの抱える問題とは、そこではないのだ。

グルーポン型広告ビジネスは、それを提供する側も、それを非難する側も、「グルーポン=シェア型広告」という本質を忘れ、旧来の「プッシュ型広告」に回帰してしまったのだ。

グルーポン型広告の本質とは「シェア」である

グルーポン型広告が登場した当初は(日本ではグルーポンではなくPikuというのが一番最初だったが)、その広告モデルの新しさにワクワクとしたものだ。グルーポン型広告は旧来の広告モデルとは違うモデルを持っていたし、それが僕自身の中で湧き上がってくるTwitterの楽しさとも重なり合って興奮を覚えたのは確かだった。

グルーポン型広告の本質とは何か? それは、Twitterに代表されるリアルタイムウェブに乗って広告が口コミが広がっていくことで人が大勢集まり、大勢集まることによって割引が成立するという「シェア型広告」のシステムだ。

ホットペッパーはプッシュ型広告である

分かりやすくするためには、旧来からあったクーポン、例えばホットペッパーと比べてみればよい。ホットペッパーは駅などにおいてある無料雑誌(その後ウェブに展開、今じゃこっちが主流か)によって飲食店・その他の広告掲載をする。ホットペッパー「以前」は、個々の店が個々にクーポンを発行していた。しかし、これでは多くの人に宣伝が行き渡らないし、新規の顧客を開拓するのにも限界がある。そこでホットペッパーは、個々の広告を無料の一冊の雑誌にまとめることにより、消費者が手にとって見たくなるものに仕立てた。このことにより、広告提供者であるお店にとっては、いままでご縁の無かった新しい顧客にも広告が眼に触れる機会を得られるというメリットを得られ、消費者にとっては、飲み会を企画したいときにいろんなお店から選ぶ楽しみがあって、しかもクーポンが付いている雑誌がタダというメリットを得られるようになった。

「まとめることにより、多くの人の手に行き渡る」ことこそが、ホットペッパーの価値である以上、いかに多くの人に行き渡るかが勝負となる。そこで、ホットペッパーの戦略は、物量作戦になる。すなわち、街頭でとうがらしにホットペッパーを配らせまくり、至る所に雑誌のラックを設けるのだ。なぜなら、ホットペッパーが一人でも多くの消費者の手に届かないと広告の意味がないからだ。ここでの勝負は「数」だ。数がないと意味が無い。こうした形の広告を、ここでは仮に「プッシュ型広告」と呼ぼう。

広告をリツイートする動機

グルーポン型広告の本質はプッシュではない。グルーポンなりPikuなりの広告媒体から最初に発信されるときだけはプッシュだが、その後は、その広告をイイと思った人によってリツイートされていくところが、グルーポン型広告のキモの部分なのだ。つまり、旧来の広告モデルのようにガンガンプッシュしなくても、消費者の「イイ」という共感を得ながら、広告がどんどんと広まっていく、というところこそが、Twitterのリアルタイムウェブにうまく合致した広告モデルとしての新しさだったのだ。グルーポン型広告の本質とは、「リツイートによる共有」なのだ。ここではこれを「シェア型広告」と呼ぼう。

そして、「リツイートされること」こそが「シェア型広告」のキモである以上、それを推進する仕組みが周到にも用意されていた。それは、大きく3つある。一日一件というプレミアム感と割安感、時間制限、そして何より人数が集まらないと割引が成立しないということ、この3つである。この3つが、広告をリツイートする動機として働いていたのである。

消費者が自ら広告をリツイートする動機がシステムとして出来上がっていること、このことこそに新しさを感じ、僕はワクワクとしていたのだ。

グルーポン型広告の自滅

さて、今のグルーポン型広告において、こうした広告をリツイートする動機は働いているだろうか? 僕にはそうは思われない。

日本にグルーポン型広告がPikuくらいしかなかったときは、確かにPikuの広告がリツイートされているのもちらほら見かけたと思う。しかし、その後のグルーポン型広告の乱立以降、少なくとも僕には、いい広告だからということで広告がリツイートされているのをタイムラインで見かけた試しはない。

なぜか。ざっと仮説を挙げてみても、このくらいにはなるだろう。


  • プレミアム感が喪失した。

これが最もクリティカルだと思われる。「プレミアム感の喪失」は、2つの段階に分けられる。

(1)グルーポン型広告のサイトが乱立し、消費者はいろいろなサイトからグルーポン型広告を得られるようになった。あるサイトにとっては1日1件であっても、消費者にとっては1日にいくつものクーポンがあるのと同じことなので、「1日1件」というプレミアム感が薄れた。
(2)グルーポン型広告サイト側も、ついに「1日1件」というお約束を放棄し、一度に複数のクーポンを扱うようになった。他にも多くのサイトがまた複数のクーポンを扱っているので、さらにプレミアム感は薄れる。


  • 自分が広告をリツイートしようがしまいが、割引の成立にはあまり関係しないことが消費者の実感値だった。

これも上記理由に並んでかなりクリティカルな理由だと思われる。


  • 大量のグルーポン広告が流通しているため、タイムラインに埋没して目に留まらなくなった。

純粋に、我々はすべての人のツイートを読んでいるわけじゃないし、グルーポンとて同じだ。


  • 提供されている品やサービスは実はさほど割安でもなく、またそのことに消費者サイドも気が付いた。

「事件」以前からそうだったろうし、「事件」以降はさらに加速した。


  • 事件の風評のせいで、グルーポン広告をリツイートすることが好まれなくなった。

俗に言う「情弱」レッテルを貼られるからである。

グルーポン広告がリツイートされなくなった理由はもろもろあろうが、それにしても枚挙にいとまが無い。僕の仮説では、上記理由の「プレミアム感の喪失」こそがもっともクリティカルな理由だと考える。特に「1日1件」というお約束を放棄して(2)の段階へとグルーポン型広告が進んだことは、注視すべきことである。これは、グルーポン型ビジネスがみずからそのビジネスモデルを変化させたということだからだ。

結局数の勝負となったグルーポンの世界

一度に多くの広告を扱い始めるということ、これは何を意味するか? これはグルーポン型広告が、旧来型の広告モデルに舞い戻ってしまった、と言うことを意味するのだ。複数のグルーポン型広告サイトがある状態では、プレミアム感が無いことに自覚的だったグルーポン型サイトは(本家グルーポンをはじめ、リクルートのポンパレも)、自ら「1日1件」という約束(=プレミアム感)を放棄し、このサイトに行けば「なにかしらの」いいクーポンがあるというブランド力のほうを取り始めた。そして、ブランド力を強化するために、街中広告、ネット広告問わず、猛烈な勢いでサイト自体を宣伝する広告を打ち始めたのである。齧りつきたくなるハンバーガーが、脂の乗った大トロが、じわじわ汁が出てるステーキが、ウェブにいるときならいつでもつきまとっているストーカーのごとく現れた。

こうしてグルーポン型ビジネスは、数の勝負の世界へと舞い戻った。すなわち、グルーポン型ビジネスは、広告が消費者によって「シェア」されることを自ら期待しなくなり、ホットペッパーに代表される「数が勝負」の世界へと自ら舞い戻って、勝負を続行しようとしているのである。

グルーポンは「いいものは口コミによってシェアされ、プッシュしなくても広まっていく」という、新時代の理想を夢見ていた。しかし、グルーポンは自らその夢から醒め、旧来の成功モデルという現実へと戻っていったのである。

結論。広告の世界では未だに物量プッシュ作戦が勝る。

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