2011/01/18

仕事の関係で、「若年層育成」に関するマーケティングを企画しなければならない。マーケティングというのはいささか格好の良い言い方過ぎるだろうか。具体的にやっていることはというと、僕も営業の端くれとして自らの案件を作らなければいけないのだからして、自分らにとって実感値のある「若年層」というテーマで説明会を開いて、引き合いをつくろうじゃないか、という目論見である。

この仕事をするのはしんどいか、というのはさておき、僕にとっては「若年層」というテーマを取り扱うということ、そのものが結構しんどいことだったりする。何がしんどいのかと言うと、「若年層」という話題になると、巷で言うところの「ゆとり世代」という言葉に象徴されるように、「上昇志向が無い」だの「積極性に欠ける」だの色々と言われている「若年層の世代特性」に向き合わざるを得ないからである。もちろん、その中には、誇張やら当てこすりやらが含まれているにせよ、それらを差し引いて考えてみても、「若年」たる自分自身に照らし合わせてみたときには、否定しがたいものがあると思う。自分が「若い人」であるのにも関わらず、客先で「最近の若い人はですね…」と一席打つには、「自分はヤツらと一味違うんじゃ」と言わんとするオーラとそれなりの厚顔を必要とするのだ。

一応、「ゆとり」という言葉で語られるような「若年層」の現象をまとめておこう。色々な言説が飛び交っているので、以下は僕なりにまとめたものであり、その限度を出ないものであることを一応付言しておく。

  • 知識欲は旺盛であり、「頭は良い」。
  • 自分の好きなことや納得したことならばやるが、そうでないことは指示されてもたてつく。
  • マイペースを守ろうとし、他者からの干渉を嫌う。

ああやだ。書いていて厭になる。でも、こうやって書いてみると、これって別段「我々の世代」に特徴的な性質であるかどうかは別として、こういう人っているじゃないか、と思う(「ゆとり世代論」批判はこういうところから切り口を開いていけば良いのだけど。)で、これを書いていると、あの人って最強に「ゆとり」なんじゃないか、と思えてきたのだ。そう、近代教育学の父にして、「頭はいいけどダメ人間な歴史上の偉人ランキング」を作ったら上位ノミネート間違いなし(※)なあの人。フランスの誇る偉大なる思想家、ジャン=ジャック・ルソーだ!

ルソーは、じーさんになってから書いた『孤独な散歩者の夢想』で、こんなことを書いている。

自分の性向に従うということ、気の向いたときに善行の楽しさを味わうということは徳とは言えないので、徳というものは義務が命じたときに自分の性向にうちかって、わたしたちに命じられたことを行うことにあり、これこそわたしが世間一般のだれよりもできなかったことなのである。

(中略)

自分の性向に反して行動するということはいつも不可能だった。命令するものが人間であろうと、義務であろうと、さらに必然であろうと、わたしの心情が黙している場合には、わたしの意志は聞く耳をもたず、わたしは服従することができない。身を脅やかす災難と知りながらも、それを防ぐために身を動かすようなこともせず、むしろことの起こるがままにまかせておく。ときには身を起こそうと努力しても、たちまちに疲れを覚え、根気がなくなって、つづけることができない。どんなことを考えてみても、しても楽しみにならないことは、すぐにすることができなくなる。

そればかりではない。拘束は、わたしの欲求と一致することでも、拘束と感じられるだけでもう欲求をうしなわせ、少しでもつよくその力がはたらけば、それを嫌悪に、さらに反感に変えてしまう。こんなふうのわたしには、人からもとめられないで自分から施していた善行も、人からもとめられるとやりきれなくなってしまうのだ。純粋に無償の恩恵をたしかにわたしは施したいと思っている。しかし、それを受けた者が当然の権利としてその継続を要求し、それが得られないと憎悪をいだくようなことがあったり、最初わたしが喜んでその人の恩人となったからといって、永久にそうなることをわたしに命じたりするようなことになると、責苦がはじまり、楽しさは消え失せる。

ルソー「孤独な散歩者の夢想」

ルソーさんは自由だよね…。やりたいことはやりたいんだけど、やりたいときだけやりたいし、やりたくないときはやりたくない。やってと言われたらやりたくなくなっちゃうし、むしろ逆ギレしちゃうんですよね、ルソーさん。

とはいえ、このルソーのダメ人間感満載なボヤキを僕は看過できないのだ。

特に、タダならやるけど、見返り(報酬)があると逆にやる気が無くなってしまうということについては、心理学的にも論点になっているところである(このことについては、心理学者エドワード・デシのソマ・パズルの実験が有名(Edward L. Deci『Why we do what we do(邦題:人を伸ばす力―内発と自律のすすめ)』参照))。ルソーのボヤキは、従来型の報酬がモチベーション要因ではなくなってきたということを論じる、最近流行りの「モチベーション 3.0」にも十分に結び付けられる話だと思うし、「モチベーション 3.0」はあくまで時代論としてそれを論じているようだけれど、そういう心理と言うのは人の本性としてそういうところがあると僕は思うのだ。

ルソーがどんなにダメ人間だとしても、なぜその陳述が人の心を打つのかといったら、それは多くの人の中にある本質を言い当てているからだ。「キング・オブ・ゆとり」たるジャン=ジャック・ルソーは、おそらくどんな人の中にも潜んでいる、自分の中でだけは一本筋が通っているあのヒネクレ屋を代弁しているのだ。

(※)好きだった女の子に盗みの濡れ衣を着せて女の子をクビに追いやったり、ガンガン子ども作って、女も子どももガンガン捨てたりしている。その他素行不良・悪行数知れず。

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