2011/01/12

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ダイヤモンド・オンラインがこんな文章を載っけている。

マイペースだけど自己主張はしない!今年の新成人に見える「新・孤立主義」
http://diamond.jp/articles/-/10686

いわく、新成人には「個人主義」というよりも「孤立主義」と言える傾向があるのだと言う。

何をおっしゃるの。我々の世代ほど、寂しがり屋な世代はないんじゃないか。

まあダイヤモンドの読者層はだいたい「オジサン」を想定しているので、「孤立主義」だみたいな当てこすりは差し引いて読むべきだし、世代論というものはすべからくキャッチーな言葉を使わなきゃいけないというお決まりがあるので仕方がないのだが、それにしてもひでえ言いようだなあと思う。おっしゃるとおりで孤立してるんだよ。人との距離が難しいのだよ。だから寂しくてたまらないのだよ。

流行りの歌で時代精神を解くってのは、わりとセコいやり方だというのは自覚してるけど、それでもやっぱり僕は流行ってる歌を参照せずにはいられない。僕には最近流行ってるのは「君をずっと愛してるー永遠にー」なやつとか「家族ありがとう」みたいなやつばっかりだなあと映っているので、気持ち的にどうしても引かざるをえない。ひとつ事例を挙げるとするならGReeeeNの「キセキ」あたりだろうか。

2人寄り添って歩いて 永遠の愛を形にして
いつまでも君の横で 笑っていたくて
アリガトウや Ah 愛してるじゃまだ足りないけど
せめて言わせて「幸せです」と

(僕は文学者なので、こういうストレート路線より変化球のほうが好きなのだが…。)

さて、冒頭紹介の記事によると、新成人で「現在交際相手がいる」と回答したのは男性16.3%、女性29.8%(全体23.0%)しかいないとのこと。このパーセンテージは過去16年で最低の数字らしい。この数字で感傷にひたるのも、草を食べてる男子のことについて思索をめぐらすのはさておき、数字の意味するところについて冷静に考えてみよう。

100人いるうちの23人しか彼氏彼女がいないということはどういうことか? それはつまり、今彼氏彼女がいるということ=希少性の高い状態である、ということだ。今彼氏彼女がいることが希少性の高い状態であるなら、今の自分の希少性を保とうと、思考は保守的になる。

その希少性を失なってしまう(=別れる)とは、恋人としての「その人」を失ってしまうということだ。復縁って道も無いわけじゃないが、恋人としての「その人」というのこそ希少性なのだからして、一度その希少性を失ってしまうということは大きな痛手になる。また、全体的に「草食化」が進んでいて、なかなか気になる人に「好きだ」という言葉を伝えられない風潮になってきているということが事実であるとするならば、「いない」77%のほうから再び「いる」23%のほうに戻るのは難しいということになる。こうして、今付き合っている人が「いる」状態という希少性を守ろうと、思考は保守的になる。

そう考えると、流行りの歌はまさにその「希少性」こそを歌にしているものが多いような気がしてくる。(「家族」というのも「他でもなくこの家に生まれ育った」という意味で)「希少性」なのだから。)で、その希少性を伝えるために歌うのが、「君に捧ぐこの愛の唄」だったりするのじゃないか、と思えてくる。

ここから暴論ちっくに仮説立てて言っちゃえば、こういうことが言えるだろう。すなわち、若い世代で今付き合っている人がいる人は、付き合っている人に対する「忠誠心(ロイヤリティ)」が高いのが特徴である、と。名づけるならば、「”運命の人”思考」とでも呼べるだろうか。

まあこういう風に似非理論立てて書くのは、僕がそういう思考の持ち主なのを押し隠したいだけだからなのだけどね…。

ちなみに、三林くんは寂しがり屋じゃないよねえ、と友に言われたことがある。「いや、寂しがり屋だよ」と僕は答えた。「でも一人じゃご飯食べられないとかないよね」「ない」「寂しがり屋じゃないじゃん」

僕は寂しがり屋ではないらしい。

何をおっしゃるの。

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