2010/09/13

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頭からヴェイルを被った、ひと目でイスラムの人と分かる女性が、秋葉原のポルノショップでコスプレ用の服を品定めしている。

まだしも新宿とかの裏路地のほうにある、薄っ暗い小さなポルノショップであれば、これも秘められしトーキョーの一シーンだったのだろう。けれども秋葉原の表通りに堂々と面した、でかいポルノショップでこの光景を見たのだから、そらおそろしいものだ。Anime、Moe、Hentaiの街であるとともに、(いわゆる三次元の)ポルノも堂々と看板をぶら下げるこの街では、どんな人の欲望でも文字通りに表通りに露出される。それがイスラムの人であっても。

僕はイスラムによる「性」の解釈についてはよく分からない。だが、姦通を犯したというイラン人女性に石打ち刑が取りざたされている昨今であるからして、ポルノショップとヴェイルを被ったイスラム女性、という取り合わせはぎくりとさせるものであった。そのすぐ傍に当たり前のように「フェアリー」という名の「マッサージ器」も置いてあっただけに。

Khadija Ahmandというバーレーンのイスラム女性がポルノショップを営んでいるという記事がある。

France24 - Gulf sex shop offers marriage guidance

"Nothing in Islam forbids sexual pleasure. Ask that question to any devout Muslim and he will not tell you otherwise," she insisted.
「イスラムは性の愉しみを禁じてはいません。敬虔なムスリムに質問してみても、違うとは言わないでしょう」と彼女は主張する。

Ahmandは、セックスのマンネリ化による夫婦の不仲を打開すべく、このようなポルノショップでセックスの刺激になるようなものを売っているという。セクシーなランジェリーは売っているが、SM用のムチは置いていないという。

この記事を読む限り、Ahmandは「家庭」という伝統的な社会基盤を守るためにポルノショップを経営しているように見える。

"A stable family is our desire for everyone... and I have the feeling I am helping in my way," she added.
"As for perversions, that's not my business."
「安定した家庭、これがあらゆる人の願いです。私は私なりのやり方で、それに貢献していると考えています」彼女は付け加えた。「変態的行為については、私の知ったところではありません」

"It's not a sex shop in the Western sense," she explained, "but a place to help married couples, and only married couples, enjoy sex to the full."
「これは、西洋的価値観によるポルノショップではないのです」と彼女は言う。「この店は既婚の夫婦に満ち足りたセックスを楽しんでもらうためのお店なのです」

「西洋的価値観とは違う」と主張しているあたりがやっぱりなあ、「文明の衝突」なのかしらと思う。変態行為とかSMのムチとか家庭制度の崩壊が、じゃあ「西洋的価値観」なのかしらと、彼女の二元論的な話しぶりからはそういう前提が見え隠れする。これは文明を論じるときにいつでも陥る危険な二元論なので指摘をしておく。

話をアキバのポルノショップのイスラム女性に戻すと、イスラム女性がポルノショップに入るにしても、そのポルノショップの種類も「品揃え」も、入る際の文化的に感じるプレッシャーも、バーレーンとアキバでは全然違うということは言えるだろう。アキバのポルノショップには当然もっと「ディープなゾーン」もあって、僕はそっちのほうまで入らなかったから知ったことではことではないけれど、彼女たちが「そっちのゾーン」に入っていったか、物を手に取ったかってことは分からない。

でもアキバという場所では、たとえ彼女らが「フェアリー」を手に取ったからとて、文化的にそれを咎めるものは何もない。同じようにムスリムの男性が「tenga」を買ったからとて、それを咎める人はいない。「旅の恥は掻き捨て」でいいならば、日本ではイスラムの国では罪に値するような「変態的行為」であれ、やりたい放題だ。ただただ、その人の良心だけが問題だ。

結局、結論などなにもないけれども、代わりに問題提起をするとしたら、「性の解放」ってなんなのでしょうね、ということだ。確かにポルノショップは、既に成立しているカップルを対象として、仲良くやっていくための(文字通りの)「潤滑剤」を提供している。それと共に、おひとりさまで完結できるインスタントな性を提供しているのもまたポルノショップだ。

僕は堅っ苦しく縛られた性なんてごめんだから、「性の解放」ってスローガンは良いじゃないかと思うけど、このスローガンはじゃあどっちの方向に開放するのってことは含んではいないので、その点は考えなきゃいけない。解放の方向性によっては、結婚なんて必要ないじゃん、家族なんて要らないじゃん、って方向にいく可能性だってあるのだから。「性の解放」は社会と切り離しては考えられない。中国の都市部における「性の解放」は明らかに一人っ子政策と関連があるけれど、イスラムにおける「性の解放」があるなら、どんな形での解放になるのだろう、と思う。

一部のキリスト教会がコーランを焼くの焼かないので騒いでおり、決して穏やかではない形で今年も9・11が過ぎていった。また下手をすればキリスト教的価値観VSイスラム教的価値観とか誤った対立構図に巻き込まれそうな情勢のなか、僕はあのイスラムの女性が頭のヴェイルを外して、メイドさんのふわふわしたやつを着けたら、それはちょっとした大事件だろうなと考えていた。
 
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