2010/03/17

お上というものは、やはり縦割りなのだろう。ある省で立てられた施策が一つ消えるかと思ったら、なんだかどこかで見たような施策が今度は別の省で立ち上がろうとしている。

文部科学省が今後5年を目処に、「大学生・大学院生の”就業力”向上の重点期間と位置づけ、大学の財政支援などに乗り出す」方針を打ち出した(参照:http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20100314-OYT8T00182.htm)。一方で、事業仕分けによりひっそりと音もなく消えていく施策がある。

厚生労働省の「若年者就職基礎能力支援事業(”YES-プログラム”)」がそれである。

YES-プログラムと聞いて、何のことだか分かる人は、相当意識のある人であるか、物好きであるかだと思う。YES-プログラムとは、Youth Employability Support Programの略で、若年層の「就職基礎能力」を向上させるプログラムのことである。

「就職基礎能力」とは、「コミュニケーション能力」「職業人意識」「基礎学力」「ビジネスマナー」「資格取得」のことであり、これらは多くの企業が採用に当たって重視しており、かつ、「比較的短期間の訓練により向上可能な能力である、とのことだ。

YES-プログラムは、これらの「就職基礎能力」を向上させることができると認定を受けた講座を受講することにより、一定のスキルを得たとして「就職基礎能力修得証明書」を発行するところまで含めている。この証明書を提示することにより、若者は一定のスキルを持っていると証明できるので自己アピールになり、企業としては採用に当たって、応募者が持っている能力を客観的に判断できる材料として活用できるのだという(参照:http://www.mhlw.go.jp/general/seido/syokunou/yes/)。

ここまで説明してきて、既にしてつっこみたいところがいくつもあるのだが、とにかく、YES-プログラムは世に知られぬまま消えることになった。これは2007年の調査であるが(2007年以降は調査データの公開すらが見当たらなかった)、YES-プログラムを認知している企業の割合は、15.9%であった。調査結果によると社員規模が300人以上では22.1%であり、「企業規模が大きくなるほど、認知度は高かった」としているが、それにしてもお粗末な数字だ。(参照:http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/03/h0319-2.html)。

つまるところ、YES-プログラムは若年層(乱暴にまとめると、大学生)にも全然名前を知られていなかったし、彼らを雇う企業の側からしても、そもそも知らない制度だったし、仮に彼らが証明書を持っていたとしても、「ふーん」という代物に過ぎなかったということだ。

それは事業仕分けで削られて当然な事業だろう。

何が失敗だったのだろうか。

答えは簡単だ。「コミュニケーション能力」「職業人意識」とかいうものが、そもそもプログラムを受講することによって「向上可能」なものではなかったのだ。

僕は常日頃から人材育成の仕事に携わっているけれども、「コミュニケーション能力」とか「モチベーション」とかいう言葉ほど「要注意」な言葉はない。「最近の若者はコミュニケーション能力が足りない」とか「モチベーションが下がる」とか言うことで、起こっている事態が説明できるよう気がするけれども、実は何の説明にもなっていないのだ。こういう言葉は、ある感覚、なんとなくそんな感じになっている、という程度しか説明をしない言葉だ。気が知れている間柄で「ああ」とか「それ」とかいう言語が通じるくらいのレベル感の言葉に過ぎないのだ。

コミュニケーション能力が欠ける、と言ったとき、どんなシチュエーションで、どんなことでコミュニケーション能力が欠けているのか?

モチベーションとか意識に欠けると言ったとき、どんなところが欠けていて、どんな悪い状態になってしまっているのか?

コミュニケーションとかモチベーションとか意識と言ったとき、それを具体的にしないと、問題の本質をつかむことは出来ない。何のためのコミュニケーション、何のための意識とか姿勢、モチベーションなのかということがはっきりしないで、ただただ言葉だけが一人歩きする「コミュニケーション能力」や「意識」とかと言うものほど、無責任なものはない。

YES-プログラムの失敗は、どこに向かうとも知らぬ「コミュニケーション能力」や「職業人意識」を育てようとしていたことにあるのだ。何の目的のための「コミュニケーション」なのか定まらぬままに育成される「コミュニケーション能力」や「意識」。「コミュニケーション能力向上」や「職業人意識」は、YES-プログラムの中で自己目的化していたのだ。

かく言う僕も、人材コンサルを志望して就職活動をしていたから、応募した会社の中にはYES-プログラム認定講座を大学生向けに売っている会社にも応募をした。そこでは、そのお試し講座のようなものをしていたので、僕も参加したことがある。

このことを書くのは、自省録にならざるを得ないから、少し恥ずかしいのだけれども、つまるところ、「コミュニケーション能力を伸ばしましょう、伸ばして、有利な就職活動をしましょう」という鳴り物のセミナーに出ているような学生というのは、上昇志向を持ちながらも、自分のコミュニケーション能力にコンプレックスを感じていて、そのせいで就職活動もうまくいかないことを自覚している学生が多いだ。自分自身もそう考えていたからから、あのお試しセミナーに出ていたのだし、何ともしれぬ「コミュニケーション能力が自分には不足している」というコンプレックスを穴埋めするために、スキルを得ようとそのセミナーに出ていたのだから。

コミュニケーションとか意識とかというものをテーマにした研修というのは、終わった後というのはなんだか、自分もやれる、自分も出来るという気になるけれども、そんな気分は短時間のうちに消えうせてしまう。現実のなかではやっぱりそんな風にうまくいかないことをすぐに自覚することになるし、1日や2日の研修を受けたところで、人のコミュニケーションのやり方や意識が変わることなんて、まずないのだ。

そんな一日にして成らない「コミュニケーション能力」や「意識」に「就職基礎能力」と名前をつけて、修了証書を与えて能力を証明しようと思ったところが、まず間違いの始まりだったのだ。

さて、話を今度の文部科学省の「大学生の”就業力”向上」に戻す。やはり、僕にはこの「就業力」という言葉が、「コミュニケーション能力」同様、なんとも胡散臭く聞こえるのだ。とかく「●●力」と名前がついているものは、濫用されすぎたから胡散臭く聞こえるものであるが、「就業力」も負けずおとらず、眉唾ものに見える。

もし、「就業力」があるものだとするのならば、その「力」の不足は可視化できるものなのか? その「穴」に対して何か埋めることが出来る施策が明確にあるのか? そんなものはあやふやだ。

つまるところ、今回のこの文部科学省の施策も、見えない、よく分からない「なんとか力」の向上に終始するのではないかと思うのだ。「就業力」というものがなんだかよく分からないうちに、とりあえず、お金と就職相談員を大学にばら撒いておく。その使い方は、大学自体がどれだけのインテリジェンスを持っているかに任されるから、大したことをしない大学は、また「コミュニケーション能力の向上」とかのカリキュラムでお茶を濁すだろう。恐ろしいのは、それでまかり通ってしまうことだ。

「就職基礎能力」とか「就業力」って何なんだろうなと思う。まったくあいまいだ。でもそれを例えば「コミュニケーション能力」とか「職業意識」とかに因数分解したところで、まだ全然あいまいなことには変わりない。

そんなあいまいな言葉で、この施策が通ってしまうなんて、それこそ、なんとか力が、足りないんじゃないかなあ。
 
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