2009/02/11

No Comment
単なるつぶやき&うろ覚え投稿だけれど。

前、「本を薦める、という教育」というエントリの中でエドワード・バーネイズ『プロパガンダ教本―こんなにチョろい大衆の騙し方』のことを少し書いたのだけれども、確か、こんなことが書いてあった。

ピアノを売りたいならば、ただピアノを買いませんか、ピアノを買いませんかと言ってコマーシャルするのではダメ。コマーシャルでは、まず幸せな家庭があって、家庭のリビングで家族がゆっくりと時間を過ごしている、そのリビングにピアノがあって、それで家族は幸せなんです~みたいなイメージを伝えることが重要だ。社会の中に、ピアノを持っている家庭=豊かで幸せというイメージを染み込ませる。ピアノをリビングに持つことがステイタスである社会を作り出す、それが広告の手法である、という。つまり、広告とは、ただ何を買いませんか、と言うのではなくて、それが必要不可欠であるような、またはそれが社会的に憧れの対象であるような社会をつくりだすことが仕事である、というのだ。

社会の状況を作ってしまうというのが広告の仕事なのだ。そのような「広告」という仕事を、ナポレオンの言葉を引いてこう表していた。

「状況だと? 状況とは余がつくるものだ。」

……さて、こういう広告手法を見ると、最近やっている「品川近視クリニック」のCMはまさにこれである。「状況」を作ろうとしている。

「あなたは何派? 眼鏡派? コンタクト派? それとも……?」

というCMだ。つまり視力矯正についての社会の中の通念を変えようとしているのだ。すなわち、

視力矯正=眼鏡orコンタクト
レーシック手術=新奇でまだ馴染みがない→何か一部の勇気のある人で金持ちの人がやる手術なんじゃない? 選択肢外。

という図式を

視力矯正=眼鏡orコンタクトorレーシック

とし、これらすべてを並列のレベルにおいてしまうのだ。広告の側から、もはやレーシックは眼鏡やコンタクトと当たり前に並ぶ視力矯正の選択肢ですよ、そういう社会になったんですよ、と言っている広告なのだ。

0 comment :

コメントを投稿

 
Toggle Footer