2009/02/18

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「マッチが照らし出した光の中に、何かが見えませんか?」
 男が目を細めて光の中を見ると、なんとなく、ずっと昔幸せだった頃の自分がその中に見えてきました。よくよく目を凝らしてみると、昔よく遊びに行っていた地元で近所の空き地の、青々と生えた草っぱらが見えてきました。そこで男はよく草野球をやっていたのです。そこで多少大きいヘルメットをかぶった自分がバットを振っている姿が、仲の良かった友達が盗塁しているところが見えました。自分はとりたてて足が早いほうでも、野球がうまいほうでもありませんでした。思えば、あの頃から自分は普通としか言いようのない、とりえのない人間だったのかもしれませんでした。しかし、あの頃はそれでも自分を仲間に入れてくれる友達が、野球に誘ってくれる友達がいたのでした。男はぼうっとその光の中に映し出される自分を見ながら、自分にとって幸せとはこういうことなのだ、と思いました。と思った瞬間、マッチの火は消えてしまいました。
「おじさんには、何が見えましたか?」
「俺には、俺の田舎が見えたよ」
 男は微笑みました。少女も微笑みました。
 少女はもう一本マッチをすりました。今度は幸せだったお正月が、光の中に照らし出されました。思い起こせば、本当に小さかった頃の思い出は、幸せなものばかりでした。お父さまもお母さまも今のようではありませんでした。大好きだったおばあさまも生きていました。おばあさまがたくさんのことを教えてくれたのでした。お正月のおせちも、お母さまではなくおばあさまがほとんど作ってくれたのでした。少女はおばあさまのお手伝いがしたくて、必死にまな板の乗っている台まで背伸びをしたのですが、おばあさまは少女が包丁を触るのはまだ危ないからといって手伝いをさせてくれず、悔しい思いをしたのでした。そんな思い出も今となっては懐かしく幸せな思い出です。思えば、一番少女のことを愛してくれたのはおばあさまに他なりませんでした。
少女はマッチの照らす光の中でおばあさまが包丁を握っておせちの準備をしているのを見ていました。まな板の上には真っ赤にゆで上がったたこや、少女の大好きだっただて巻、小魚の煮物などがありました。そして不思議なことにそれらは少女の目の前で動き始めたのです。真っ赤なたこは足をにょろにょろと伸ばして、まな板にきゅうばんをくっつけて離れたがらなくなりました。だて巻はまるで足が生えたかのように立って、少女の方に向かって歩いてきました。実は少女があまり好きではなかった小魚は、ぴょんぴょんはねてお皿から逃げていきました。おばあさまは驚いてあたふたとしています。少女はその光景を面白く見ながら、おばあさまのことを思い出していました。おばあさまのことを思い出すと、少女は涙がでてしようがありませんでした。マッチの火はもう少ししか残されていませんでした。
「おばあさま!」
 と少女は叫びました。
「ああ、わたしも一緒につれていって! だってマッチの火が消えてしまえば、おばあさまは行ってしまうのでしょう? さっきのおいしそうなクリスマスケーキや、温かなごちそうみたいに……」
 そう言って少女は、残っているマッチを大急ぎですりはじめました。男には、少女に見えているものが分かりませんでしたが、少女に見えているものが大切なものなのだろうということは分かりましたので、それをじっと見守っていました。火はどんどんと大きく燃え上がりました。そうやって、おばあさまをしっかりと、自分のそばにひきとめておこうとしたのです。マッチの光はこうこうとあたりを照らし、この静かな寒い細道が、真昼よりも明るくなりました。
「おばあさま! おばあさま!」
 と少女は叫びました。少女は必死になってマッチをすりました。いつしか、少女は涙を止められなくなって、泣きながら火をつけていました。
「ああ、優しかったおばあさま! またもう一度わたしに優しくしてください! おばあさまのそばに行かせて下さい!」
 たくさんあったマッチは、いつしかもう残りが一束だけになってしまいました。それでも少女はマッチをすり続けました。とうとう、最後の一本までマッチをすってしまいました。光の中では、おばあさまがにこにこと少女に向かって笑いかけていました。マッチの光は最後の光を振り絞るようにしてあたりを照らし、あかりはこうこうと照らされていました。けれども、その最後の一本も音を立てて、火がかすれ始めると、おばあさまのいる光もだんだんと弱くなって、ついにはその最後の火まで消えてしまいました。
 あたりはまた、本当に寒い、雪の降る細道に戻ってしまいました。もうマッチは一本も残っていません。あの光の中のことは、雪が降っていたことなど、忘れてしまうような出来事でした。しかし、それは幻に過ぎませんでした。少女に、冷たい風が打ちつけました。
「おばあさま……」
 少女は、その場に泣き崩れてしまいました。泣き崩れた少女の上にも、容赦なく雪が降りそそぎました。かわいそうになった男は、思わず少女の頭の上の雪を払ってやりました。少女はぴくりとも動きませんでした。靴も履いていない少女の足は、もう青白く、死んだようになっていました。
 優しい男は、少女を抱きしめてやりました。そのほうが、ほんの少しでも暖かくなるからです。少女は男の腕の中でも、ずっと泣いているばかりで、あとは死んだように動きませんでした。男は心配になって、少女の頭をなでて、少女の顔を見ようとしました。けれども、少女はうつむくばかりで、少女の表情まではわかりませんでした。男は少女を抱きしめ続けました。そうしているうちに、男は、自分が少女のことを愛しく思っているのだ、ということを自分の中で認めざるを得なくなりました。男は、心をこめて少女のことをもう一度抱きしめました。すると、寒さと悲しさに打ちひしがれてぴくりとも動かなかった少女が、ほんの少し、男のことを抱きしめ返したのでした。少女は抱きしめられながら、それを拒むことができない自分に気がついているのでした。いいえ、拒むことができないどころか、それこそが少女が長い間求めていたものに他ならなかったのです。少女はもう何年も、お父さまからもお母さまからも、抱きしめられたことなどなかったのでした。少女は男に向かって微笑みました。二人は、まるでさっきまであったマッチの火みたいに、暖かくなりました。

   ■

 夜があけ、新しい朝がやってきました。それは新しい年の始まりでもありました。少女と男は、寄り添って、凍えきって死んでいました。二人のなきがらが発見されると、そのまわりにはすぐに人だかりができて、このスキャンダラスな、淫猥な光景を見たがりました。警察の調べにより、少女の体から男の精液が検出され、少女は男から性的暴行を受けていたことが明らかになりました。人々は、こんな野郎は死んで当然だとか、新年早々嫌なニュースだとか、口々に言いあいました。そして、このかわいそうな少女のために、せいいっぱいの同情をそそいだのでした。けれども、人々は二人が、亡くなる前どんなに美しいものを見ていたかということも、どんなに暖かく幸せな思いをしながら天国に上っていったかなどとも、知るよしもありませんでした。

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