2008/12/23

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欲望には私欲と公欲があるとしても、僕は究極的には「自分がリーダーとなって」企画を動かしていく原動力は私欲だと思っています。「自分が」思いついた企画であり、「自分が」やりたい企画をするのだからです。その私欲を否定しない代わりに、その私欲について責任を持って企画を運営するべきだと思います。企画を動かす、という「私欲」を満たすために、リーダーは他の人の貴重な時間を借りてことを動かしていく存在なのです。見ず知らずの、出会ったばかりの人から、先生方、大学職員の方々までの時間を割くのです。そのことの重大さに自覚的でありたい。

ここから先はディープに、僕が「高校生ゼミ」という企画をやるにあたって考えていたことを述べます。ちょっといい子風ですが、本心です。

高校生ゼミを本当にやる、ということになって、一度僕はこのこと、「まわりの人を動かしているんだ」ということを深く考えました。すごいことになった、と思いました。いくら高校生ゼミが、たとえば「早稲田祭」にくらべて小さな企画だとしてもです。高校生ゼミは、最初は僕の頭の中にあった小さなアイデアに過ぎなかったのです。それを口に出して言わなければ、この企画は僕の頭の中だけで終わっていました。しかし、僕はそのアイデアを口にしました。そこから運命の車輪が回り始めて、ついに他の多数の人間を巻き込んで引けないところまで来てしまった。別に、引けないことが怖かったということはありませんでした。僕が一言言ったことから車輪が回り始めたということが、ふと、空恐ろしいことに思われたのです。これは考えてみるとすごいことだと思いました。僕の「欲望」が、他人の時間を割いて動いているのですから。

だから、「高校生ゼミ」という企画をなんとしても成功させよう。という発想に普通はすぐ行くのだと思います。もちろん、成功はさせたかったです。しかし、「成功」とはなんなのでしょう? これを定義するにはずいぶん個人的な差があるように思います。おそらく、一般的に考えたら、「高校生ゼミ」の成功とは、高校生がたくさん来てくれて、彼らが楽しんでゼミを体験してくれること、だと思います。しかし、僕にはその前に、僕の一言からみんな(メンバー)を動かしてこの企画を運営しているんだ、彼らの時間を割いているんだ、という思いが先に立ちました。だから、僕はなにより、その割いてくれている時間を楽しいものだ、とか、参加して有意義なものだ、思ってほしかった。僕にとっての高校生ゼミの成功の条件とは、そちらの方が先だったと思います。

リーダーとしての究極的な仕事とは、事業を外側からみて成し遂げることよりも、それを生み出す「場」を創り出すことだと思っています。だから、僕のリーダーとしての究極的な目標は、その「場」を楽しくて、有意義なものに創りあげることでした。もちろん、外面的に成功することとのバランス感覚は必要ですが。

さて、この僕の条件を当てはめるとしたら、僕の企画は成功したものと言えるかどうか。それはこの企画に携わってくれたみんながどう思ってくれたかによります。面白いと思ってくれた、この企画を通して友達ができた、この企画をきっかけにして何か来年やろうと思いたった、そんな感想がもれてきたら、僕としては本望です。

僕は、みんなの時間を割いているということに責任を負うつもりで、この企画を楽しいものにしようと努めました。もちろん、外面的な成功をもっと求めて行く姿勢もリーダーシップの中にはありますし、こちらのほうを強調する人もいると思います。いずれにせよ、リーダーというものが他人を動かしている、他の人の時間を割いている、ということに違いはありません。このことのすごさ、というのを忘れないでほしいと思います。このことを忘れたら、リーダーとは独りよがりですから。

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