2008/12/06

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三日連続で夕飯が吉野家だった。同じ店、同じ席の。外は寒くなった。マフラーをつけるのも面倒になってつけなかったら相当寒くて凍えた。もはや滑稽なものにすら感じる牛丼のなかに割箸をぶちこんで、俺は考えた。俺は若い。

昔書いた小説のなかで俺は、「十九歳の夏」のことを「もはや絶望とこの世に対する呪いが、自分の誇りか、自分が一段上の者であることを立証するものではないといい加減に気づかなければならないという、新しい種類の惨状とまざまざ見せつける季節」と表した。もうすぐ二十二になる。俺は何が変わっただろう? ずいぶん変わった。俺がか? 情況がだ。俺のすぐ前には未来が、社会が、「希望」が、開けていた。

俺は若い。マズローの「欲求の五段階ピラミッド」を這い上がる生き方を目指してもよかったし、転げ落ちるような生き方を選んでも良かった。若いということは、これに選択の余地があるということだ。どちらかを強いられているのではないことだ。俺は自由だった。俺は恵まれていた。俺は若くて、希望が満ち溢れていた。「成功」に向かって突き進んでも良いし、自堕落に生きることを選択しても別によかった。苦々しかった。こういう「選択の自由」なんぞには、実際には選択の余地などないからだ。

希望、ってやつと折り合いをつけて付き合っていかなきゃならない。持っているだけでそれは誰かからは羨ましがられるものだし、その割には自分では持て余すのだ。二十二の冬はこれから厳しいものになりそうだ。世にはびこる安っぽい啓蒙思想は排しながら、こいつと真摯に付き合わなければならないのだから。

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