2008/11/12

結局なぜか徹夜してメディアもの第三弾。

大学2年生のときのTゼミのプレゼンで、僕は「キッザニア」を批判した。キッザニアとは職業体験テーマパークとでも言うべきもので、中には「パン屋」「ピザ屋」「テレビ局」などのパビリオンに分かれており、子供がそこで職業を体験できるというものである。なお、保護者は仕事体験は出来ない。触れ文句としては、「子供のときからの就業体験を得られる教育的遊戯施設」といったものである。

僕がこれを批判した2年生当時の主張は、「キッザニアで子供は就業体験を得ることにより、将来を考えるようになるというが、それは不可能である。キッザニアは単なる”おままごと”の延長線であり、子供受けのよい職業のカタログに過ぎない。これによって子供が将来の職業観を得ることはない」というようなものであった。

今でも、僕のこの意見は変わらないが、2年経って少し考えが進んだので、このブログに表明をする。とはいえ、やっと気付いたというようなものなのだが...。

ずばり言うと、キッザニアは教育の場でなどない。企業のブランディングを子供の心の中に構築するマーケティング遊園地である。

企業にとってブランディングというものが近年非常に重要視されるようになってきた。昔の広告が単純に「これは美味しいので買ってください」「これはここの性能がいいので買ってください」と訴えて売るスタイルだとしたら、現在ではそのスタイルは通用しなくなりつつあるのである。我々の住む日本や、あるいはアメリカのような先進国ではとうに最低限の欲求は満たされているから、新たな消費を生み出すためには、企業が新たな欲望を生み出さなければならない。それに、消費者の購入の基準も「安い」や「良い」から「信用」にシフトしつつある(※)。

※最近の食品不安の報道はもはや狂騒を極める。「消費者の購入の基準も「安い」や「良い」から「信用」にシフトしつつある」のような文言もそのままメディアから流されている。確かに消費者の購入のシフトは明らかに「信用」にシフトしただろう。しかし、「メディアがそう仕向けた」可能性も十分に疑う余地がある。消費者の購入基準が「信用」にシフトすることによって得をする企業だってあるのだから。

そうしたときに結局消費者が購入の決め手にするのは何なのか。報道によって、あらゆるものに不安が掻き立てられている中で消費者が購入のよりどころにするのはどこなのか。それがブランドである。

このブランドのものならば大丈夫だ、だから買う。このブランドは良く知らない...あやしいかもしれない、だから買わない。というような購入スタイルは今や誰もがしたことがあるはずだ。こうした消費者の購入スタイルで企業にとって一番大切なのは、消費者の心の中でのブランディングが出来上がっていることである。ブランディングとは「約束」とでも言い換えることができる。ブランディングはこのブランドのものならば、安心であるとか、高い品質が得られるとかの、「消費者の心の中で保証されている約束」である。つまり、ブランディングは消費者の心の中に入り込む広告である。心からこの会社の商品はいいと思ってもらうことほど、企業にとって良い広告はない。だから、企業は商品のイメージにこだわるし、企業自体のイメージにも非常に配慮している。

「北風と太陽」になぞらえて言うならば、かつての「買ってください」式広告が「北風」、現在のブランディングによる広告手法が「太陽」であると言えるだろう。

キッザニアは、果たしてこのブランディングを子供のうちからやってしまおうという施設なのである。しかも、TV広告でもなく、電車広告でもなく、キッザニアでは「体験」を通して子供は企業と接する。他の広告は受動的であるが、ここでは子供が能動的に「楽しんで」広告と接するのである。当然のようにキッザニアのコンテンツは楽しいように作られている。実際の就業の苦しさなどは脱色されているはずであり、その点からも就業教育という大儀には疑問がつくわけだが、この「能動的に得た楽しさ」こそが子供の心の中に強烈に焼きつくブランディングなのである。子供のときに体験した楽しさは心の中に焼きつき、その良いイメージは企業のイメージと結びつくであろう。いずれ、子供も成長する。最初はお小遣いを使う消費者となり、ゆくゆくは自らお金を稼いで使う一人前の消費者になる。その成長の過程での消費において、彼の「就業経験」は企業のブランドとして彼の購買行動に影響を与えるであろう。しかもキッザニアでの「就業体験」は企業の商品のブランディングになるのみならず、将来的にはリクルーティング広告の役目をも果たすだろう。企業の人材採用においてこの手法は志望者数を増やすのみならず、志望が経験と結びついたモチベーションの高い志望者を確保することにもつながるのである。

以上が僕の批判するキッザニアである。キッザニアは「お仕事体験をベースとした社会学習の場」(キッザニアHP内の言葉)という顔を装い続ける限りにおいて、欺瞞的であると僕は思う。

僕だってテーマカレッジ越境する想像力で「高校生ゼミ」を企画した人間であり、「高校生に大学のゼミを体験する場を与える」という大儀をもって事を動かした人間である。そうである以上、企画というものが二面性を持つことは心得ている。「高校生に貢献したい」という思いが先行していても、「高校生ゼミ」は図らずとも「早稲田大学の宣伝」という意味を帯びてしまう企画には違いなかった。このことを自覚していたからこそ、「高校生ゼミ」を運営していく上で目的の第一位がいつの間にか「早稲田大学の宣伝」にすり替わってしまわないように注意を払ったのだ。あくまで目的の第一位は「高校生への貢献」、「早稲田大学の宣伝」はそれ以下になるように運営をしたはずだ。

キッザニアは「社会学習の場」という大儀を掲げている。むろんそのような側面があるにせよ、その目的は2位以下としか僕には思えない。僕が批判をするのは、「社会学習の場」という大儀自体は素晴らしいものだと思うからだ。しかし、キッザニアではその大儀しか見えずに、企業のマーケティング活動にまんまと乗りかねない。そうした可能性を警戒するべく、メディア・リテラシーは必要なのである。

キッザニアが恐ろしいのは、メディア・リテラシーもない子供にこうしたブランディング広告手法を適用するからである。そして大人に対しても「教育施設」の顔をしてその正体を隠しているのだからタチが悪い。前のエントリーで「企業は「揺りかごから墓場まで」のブランド信仰(brand loyalty)を打建てたいのである。」という文があったが、まさにメディア・リテラシーのない子供に植え付けるブランディングは「loyalty」(忠義心)なのである。

※内定先の会社の同期となる人の一人が、キッザニアでアルバイトをしていたそうだ。もちろんこの文章は彼女のキッザニアでの就業を否定するものではない。彼女は子供に対してのキャリア教育のようなことにも問題意識を持っているそうだから、この文章も建設的な意見としてみてくれると僕としては嬉しい。

0 comment :

コメントを投稿

 
Toggle Footer