2008/08/17

No Comment
あまりにも面白かったので、シェアしたい欲望に駆られる。今回はメディア論を勉強する人に捧げるエントリーである。
マーシャル・マクルーハンのLPレコード、"The Medium is the Massage"である。とにかく聴いてみてください。

side A

side B


まず、かのマクルーハン先生がレコードを出していたこと自体、全く偶然に知ったことであったのだが、聞いてみたらベラボーに面白かった。
オシャレな深夜の海外ラジオを聴いているような気にもなるし、前衛的でしかも「ポップ」とも呼べるくらいのサウンド・コラージュをやっていたころのビートルズを思い起こさせもする。
『メディアはマッサージである』をマクルーハン自身で朗読したものに、様々なサウンド・コラージュをつけたものらしい。

あくまで自分自身の音楽体験(これは「音楽」か? 「聴体験」とでも言うべきか?)として書くけれども、私はレコードの全ての英語を聞き取れるわけではない。マクルーハンの先生然とした朗読にカオティックに絡まってくる様々なサウンドの全てを聞き取れるわけではない。単語レベル、あるいは聞き取りやすい文のレベルで私の中に言語が入ってくる。しかしそうして入ってきた英語(という外国語)は、だからこそ耳に残るのである。執拗に繰り返される"The medium is the massage
"というテーゼ、そしてもはやそれ自体の暴力を体現するかのように、私の脳内にマクルーハン先生が刷り込んでくる"Printing, printing, printing..."(SideA、9分08秒)の連呼。

"Everything we do is music..."(SideA、3分28秒)以降あたりが異様にラジオの音楽番組っぽいのはなかなか微笑んでしまうのだが、それでもやっぱりマクルーハン先生がかっこいいのは、

印刷技術はあらゆるものを完全に変えてしまった。人間が自己について考える思考様式や相互の行動様式を変えてしまった。そして統治の様式すらも変え、他にも、他にも、他にもあらゆるものを変えた。(SideA、9分34秒)


みたいなズバッとしたテーゼをはさんでくるからである。まったく、かっこいいよなあ、そしてこんなにかっこいいレコードを出しているなんて、ずるいよなあ。このレコードは1960年代の後半に出されたらしいのだが、ますますこの時代は本当に面白い時代だったのだろうなと思う。

少し真面目モードになると、僕は例のマクルーハンのテーゼ「メディアはメッセージである」にかなり影響を受けた人間である。メッセージ自体とはまた別に、それを運ぶ媒体自体がメッセージたりうる、という考え方である。端的には上に引用したような「印刷」という媒体についての議論がメディア論の第一歩である。

「印刷」という技術が発明される前にも、「伝えるべきこと」すなわちメッセージは存在していたわけである。しかし、「印刷」というものが発明されて、それを使ったら「よりよくメッセージが伝わるようになった」ということにはならない。「印刷技術」という「媒体」はただ単にメッセージを伝達する無色透明のツールであるとはいえないのである。そこに「印刷」という中間=mediaが挟まったとき、もともとのメッセージには何らかの色がつく。そして、印刷というメディアは世界を変革するほどに大きなものであったのである。特に聖書と言う「聖なるもの」の印刷は、聖なるものを俗に引きずり落とす影響があったのである。

メディア論を云々してもどうしようもない。自分が最近感じる「メディアはメッセージである」は、音楽のメディアであって、このことについて書くことにしよう。

自分には旧式な人間のところもあるから、昔mp3プレーヤーが流行り始めた頃でも、どうしても「CD」というメディアが手放せなかった。お金を出して音楽を買う以上「ブツ」として所有できないと、納得がいかなかったのである。その当時の僕には目に見えないデータでパソコンの中に入っている「音楽」など信用が出来なかった。逆に言うと、CDという手に触れられるものがあって、私の所有欲は満たされていたのである。

しかし、パソコンに習熟してダウンロードという技を身につけてしまったらとたんに今度は、音楽に「.mp3」がくっ付いていないと不安になるようになった。CDを買ってブツとして手に入れておくよりも、パソコンの画面の中のファイル名に「.mp3」の拡張子がくっ付いているほうが私の所有欲を刺激するようになったのである。

マクルーハン、ボードリヤール的な「印刷」についてのテーゼの一群をコンピュータ、インターネットの発展に応用することは可能で、いまさらながらにその適合性には驚くけれども、自分自身で体感したものとしての「メディアはメッセージである」にはやはり考えるところが大きい。マクルーハンは人間の自己認識とか行動様式とか、あとは政治的なこととかマクロのレベルでメディアについて議論をしているけれども、私の中というミクロのレベルのメディアの革命は、あふれる「所有欲」の発生をもたらしたのではないかと考える。印刷という革命は「本」というものを生み、インターネットの発展という革命は世界中に散らばるデータと、それをダウンロードする機会というものを生み出した。私はその革命に際して、それを手に入れたいという欲求に駆られるようになり、稀少本を手に入れては悦にはいり、「.mp3」のついたファイルを手にいれる度には満足をするのだ。

私なりにテーゼを立てるとすれば、「メディアは人を狩猟民にする」だ。印刷にしろ、インターネットによるダウンロードにしろ、それが人に許したのは「所有」であり、しかも「狙ったものの所有」であった。そのために、人は金銭、古本屋漁り、コネ、ダウンロードツールなどの「武器」を携えて狩りをするようになった、というのが私的な仮説である。メディアの発展は、人を農耕的な性格から遠ざけ、各々が狙うものを武器を携えて狙う環境をもたらすのである。

0 comment :

コメントを投稿

 
Toggle Footer