2008/06/03

No Comment
K先生がハーゲンダッツの広告のサブリミナルっぽさに言及していたことがあるけれど、僕もキリンとサントリーの広告には何かサブリミナル的なものがあるよなあ、と感じてしまうのである。こういうことをまじめに語るための「言語」をもって気にしだしたのはブライアン・キイの『メディア・セックス』を読んでからであり、"sexploitation"という単語を覚えて使うようになってからであるのが、少し痛いところではあるが。サントリーの「金麦」の交通広告は「KINMUGI」と書くべきところを「KIN___GI」としてあって空いた空間には厚い、「おいしそうな」女性の唇があって、自覚をしているからこそ僕は記憶に焼きついた気がする。(参照:サントリー「金麦」商品サイトhttp://www.suntory.co.jp/beer/kinmugi/index.html)むしろそんなことを気にしているから、(おそらくは本当に狙ったのであろうけれど)コピーの「(金麦、)暖かい部屋で飲もうね。」というものすらが、性的なコノテーションを含んで僕には聞こえてしまう。また、キリンの「スパークル」の交通広告には背景の水玉模様の中にさりげなくSやRといったアルファベットが紛れ込ませてあった。なんだか、あの本を読んでからむしろこういうことを気にするようになったので、商品のこともしっかり記憶に焼きついている以上、あの本に「してやられてしまった」感があるのは否めない。

さて、この記事はサブリミナル効果について書くものではなくて、広告に見られる特徴を論じようとするものだ。「広告批評」が休刊になることを横目で見つつ、ああ、広告のひとつの時代が終わるのだと他人事のように感傷的になる僕は実はそれを一度も読んだことのない人間で、つまりはにわか広告批評愛好家であっても論じられることはあるだろう、というスタンスの基に書くものだ。

というわけでネタはキリンの「潤る茶」である。電車ではいろいろな妄想をしている僕だが、広告は妄想のよい種である。こうやって文が書ける。そういう僕に以下のコピーが飛び込んできた。女性が右のほうに大写しになってあり、コピーは左のほうにまとめてある。

お茶でうるおいを
とれたら、
日本人はもっと
美しくなると思う。

すーっとしみこむ12の恵み

12の恵みが→体にしみこみ→中からうるおう

キリン 潤る茶!

(参照:キリン潤る茶商品サイトhttp://www.beverage.co.jp/ururu/ アドギャラリーより)
最初の「お茶」のところを「シャンプー」に変えたらこの広告はそのまま「TSUBAKI」の広告に化けるな、これは。

日本は、もっと輝く。

進化した資生堂TSUBAKIで日本女性の髪は
さらに美しく映える、内側から輝くような艶を手に入れます。

(参照:資生堂TSUBAKI商品サイトhttp://www.shiseido.co.jp/tsubaki/index.htm)
僕にはこのコンセプトの近似が面白い。僕が見出す「潤る茶」と「TSUBAKI」の商品コンセプトとかキーワードの共通点は以下のとおりである。

うるおい、日本、美、しみこむ、身体の「内側」への視線、自然の恵み、「アジアンビューティー」の美女(肌の白いのを強調しない、黄色の肌の写真写りを強調、黒髪のロングヘアー)

ここにコカコーラの「からだ巡茶」の広告に見られる「脱-願望」を含めても面白いのだけど(広末涼子の台詞の性的隠喩があまりに露骨だし)、とりあえずここではひとまずおいて、このあまりにも際立っている近似のトポスの中に、身体の内側とかエコロジー志向に巧妙に美とか「日本」すらが関連付けられていることを考える。これらの商品は、成分的に「東洋の」素材を使っていることを強調している。それらは「しみこみ」、身体の「内側」にたいして影響を与え、それが身体の「外側」を繕っただけではない「本当の」美を獲得させる。あるいは癒しを与える。ここには身体の「外側」を繕うことへのアンチの発想があるに違いないが、これが高校の時の現代国語で安易に教えられた「西洋:東洋」のような二分法に従って、「西洋:東洋=身体の外側:身体の内側=装飾:本質」みたいな連想につながっていくことが危なっかしい。しかも「アジアン」はいつの間にか「日本」にすりかえられている。

どうして最近はこんなに日本日本しているのかよくわからないし、日本日本している理由には諸々の評論がすでに何通りかの回答を示していると思う。とりあえず、にわか広告批評の本分はこれまでと勝手に決めておしまいにするにしても、広告が私たちの頭にすーっとしみこんでいくものであることだけは頭にとめておいたほうがいい。

0 comment :

コメントを投稿

 
Toggle Footer